『何のために』
人生の師匠の教えとは、宝であると同時に
心の物差しに似ています。
『何のために』という言葉を
人生の師匠から学んだ18歳のときから
僕はことあるごとに自分に問いかけてきました。
「何のために店をやるのか?」
「何のために本を書くのか?」
「何のために講演をやるのか?」
「何のためにニートや引きこもり君を
集めて農業をやるのか?」
不思議なことに
この問いにバシッと答えられることは
やって後悔がないのです。
血反吐を吐くほどしんどくても
人から無理だと言われても
絶体絶命のピンチになっても
ギリギリのところでふんばれる。
何があってもあきらめず
バカにされてもへこたれず
腹の底に力を入れてやりぬける。
「何のために」は僕にとって
そんな気にさせてくれる魔法の言葉です。
志があるということは
「何のために」が
はっきりとしているということです。
素敵なご縁が皆様に訪れますように